2011平和行動in沖縄

今回の参加者です

 

  さあ、今年も連合平和4行動がstartしました。6月23日の沖縄を皮切りに8月の広島・長崎、最終9月の根室まで足掛け4ヶ月の長丁場の行動となります。連合愛媛はその全行動に10名弱の派遣団で参加する予定です。

 (参加者感想文はこちら

 ~「願う」平和から「叶える」平和へ つながろうNIPPON!~  

パネルディスカッション

 本年度の平和行動は例年と異なり、「東日本大震災復興支援」と並行しての取り組みとなります。当初は規模縮小も考えたようですが、それはそれ震災復興も平和実現もALL JAPANで取り組むべき課題です。蓋を開けたら1,310人もの連合の仲間たちが結集し「2011平和オキナワ集会」(6.23)が盛大に開催されました。集会に先立ち行われたシンポジウム「日米地位協定の抜本改定を求めて」では地元大学教授や議員の方々から、過去の事件・事故の生々しい紹介と共に、この問題は沖縄だけでなく国としての問題であることが訴えられました。今回、愛媛からの参加者は全員が初沖縄だったですし、恐らくは「日米地位協定」についても非日常の言葉だったでしょうが、一定の理解が得られたことと期待しています。

 

古賀会長と…

摩文仁の丘

ひめゆり慰霊碑

  続く「平和オキナワ集会」での古賀連合会長の挨拶では、東日本大震災支援の連合の取組み報告に始まり、最後は「日米地位協定の早期抜本改定」を改めて表明しました。そして地元連合沖縄の仲村会長も冒頭、東北の被災地に励ましの言葉を贈り、昨今の基地を取り巻く情勢についてより具体的に「世界一危険な普天間基地に、この上なぜオスプレイが配備されなければならないのか。辺野古移設も決して許さない」と強く訴えられました。

雨ニモマケズ…

国際通りをデモ行進

 二日目の24日は恒例になりました「ぴーす・フィールドワーク」です。連合沖縄青年委員会のメンバーにガイドとして協力をいただき、今回は南部戦跡の視察に参加しました。(詳細は参加者の感想文を参照下さい) 夕刻は、台風5号の影響で大雨の中、県庁前広場に約1,000人が集結した「米軍基地の整理・縮小と日米地位協定の抜本改定を求める集会」に参加し、集会後は牧志公園に向けて国際通りをデモ行進し、道行く人々に「米軍基地の整理・縮小」と「日米地位協定の抜本改定」を力強く訴えました。

 三日目は連合愛媛独自の取り組みで、前日行けなかった北部方面の普天間基地、嘉手納基地(安保の丘ではなくその後方の道の駅「かでな」)、そして例の名護市辺野古地区を視察しました。特に辺野古地区では、国立沖縄高等専門学校など近代的な建造物が周りの風景(熱帯雨林特有の原生林や美ら海)と異様なコントラストを醸し出していました。決して、すべての建造物が「地元振興対策費」によるものとは限らないでしょうが、やっぱり違和感を覚えます。現地にいかないと分からいないこともやはりあるんですね。

 それと、普天間からの移設先に予定されるキャンプシュワブはフェンス越しには殆ど現認できませんが、海岸に降りると境界ラインまで行くことができます。昨年伺ったときには有刺鉄線だけで、そこに阻止運動のリボンなどが巻かれていましたが、今回はその境界がコンクリートフェンスに変わっていました。米国のいや我が日本政府の強い意志?の顕れでしょうか?この日は台風の影響で「テント村」は事務所に撤収されておられましたが、2,624日(足掛け8年)の座り込み行動ご苦労様です。 そんなこんなで、今回のオキナワ平和行動も無事終了することができました。参加された若い皆さん方がこの三日間をいかに感じ、今度、オキナワとどんな付き合い方をされるのか、大いに期待をしながら報告させていただきました。また行きましょう。

参加者感想文は→こちら(pdf)

この時期には珍しくヘリが撮影できました。(普天間)

いつの間にかコンクリフェンスが

座り込み2,624日!

 

 

 

 

 

 

(蛇足)

 実は今回とても気になったことが一つあります。それは、私どもを案内していただいた青年委員会の皆さん方のガイドスタイルです。ご本人たちは大汗をかきながら本当に一生懸命説明・リードしてくれました。もちろん参加者全員感謝感謝です。ただ…、(くれぐれも誤解の無いようにお願いしますが)行動スタート時に「今回は、敢えて(普段ほかの人がやっているものと)違うガイドをします。皆さんも、一日中どんより重~い暗~い気分はいやでしょ!」って切り出されました。私自信は引率者としては05年を最後に、01、03年と今回で4回目ですし、その前も入れると5~6回は沖縄平和に参加しています。確かにその都度、悲惨な沖縄戦の話、現時点で起こっている米兵による陰惨・理不尽な事件事故の話、あるいは沖縄独特の文化やその背後にある本土に対する想い、などなどを移動中のバスの中で聞いて、時に涙しそれこそ重~い気持ちになって勉強させていただきました。ところが今回はそのスタイルではないとのこと。若干期待を持っていました。ところが、普段飲むお酒の話、高校野球の話…。(勿論視察pointでは、きちんとガイドされていました)

 先述したように今回の愛媛からの参加者は全員初参加です。うちに限らず毎年引率者以外はほとんど初めてだと思います。一生に1日位、ズシ~んと、重~い気持ちになって現実を考える日があってもいいはずです。少なくとも個人的な観光旅行者ではない訳ですから……。

 極めつけは「那覇新都心」での話です。今回からルートに入ったようですが、その意図を理解されていなかった?本人曰く「さっきまで何でルートに入ってるのか分からなかったけど、今携帯ネットで調べたら、なんとここはその昔、米軍基地だったみたいです。だから入ったんですね…。」演出なのか?マジなのか?その歴史等に触れることなく「興南高校」春夏連覇の話に速攻で移ったところみるとマジだったようです。 20代後半の青年には酷かもしれませんが、基地返還の正当性、そして片方ではその難しさ、恐らくは中・四国、九州では最も近代的で綺麗な都市になった那覇新都心(おもろまち周辺)。普天間などの純粋軍事基地が返還された時、ここと同じようなスピードで開発が進むのか否か(新都心は元々米軍牧港住宅地区の跡地)。つまり何が埋まっているか分からない、何が廃棄されているか分からない広大な土地を利用可能に持っていくのにどれくらいの時間とコストがかかるのか…等々の問題提起にはとても価値ある地域なのです。おそらく主催者はそれを考慮したと思うのですが…。おかげで、切り替えに使うはずの夕食交流会がクソ真面目な学習会になっちゃいました。ま、皆さん真剣に聞いて下さってましたけど…。あのままスルーしたら…。地元沖縄の人にこの話をしたら、カンカンになって怒っておられましたが、ひょっとしたら世代によっては、そうなのかも知れません。米軍牧港住宅地区の全面返還が87年ですから彼らが物心ついたときには既に街は存在していたはずです。一概に決め付けることはできませんが、無理もないのかも知れません。長年沖縄をwatchしている者としては、「この辺のことは現地の人には、老若男女周知の事実」と思いこんでいましたから、やっぱり少しショックでした。

 でも、しつこいようですがご本人たちは本当に懸命にガイドして下さってましたので、念のため。そして、本当にご苦労さまでした。ありがとうございました。

以上

連合愛媛 事務局長 杉本宗之

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連合は全国約700万人、その地方組織47の1つ連合愛媛は、約4万人の仲間の組織です。加盟産業別労働組合は30組織です。

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