2011.6.9(笹森清さん逝く)

 2011年6月4日早朝、連合第4代会長の笹森清さんがご逝去されました。(享年70歳)慎んでご冥福をお祈りいたします。

  笹森さんは、偉大な活動家の重要な一因である“強いagitation”ができる数少ない労働運動家のお一人だったと思います。斯く言う私もそのアジ演説(ご本人に言ったら「俺はアジってなんかないよ…」ってことでしたが)の虜になった一人でして、恐らくはこの「心の琴線に触れる」彼の演説に導かれるように、ご本人あるいは労働運動に傾倒していった皆さんも少なくないと思います。

  連合愛媛と笹森さんの関係を回顧するとしたら、やはり2001年の連合会長就任時からになると思います。事務局長時代の対国会、対政党への武勇伝は今も語り継がれていますし、現民主党政権の礎を作ったお一人であることは、『内閣特別顧問』という肩書きを引き合いに出すまでもないでしょう。

 

 笹森さんは約10年前の2001年10月、社会がグローバル化や市場万能主義、格差拡大など大きく変化しているその真っ只中、連合の目指すべき社会像を「労働を中心とした福祉型社会」とする『21世紀連合ビジョン』を引っさげ、第4代連合会長に就任されました。

 

 笹森さんの凄かったのはその後の行動です。まさに「有言実行」でした。実は、同年4月に誕生した小泉内閣は、「自民党をぶっ壊す」のワンフレーズで7月の参院選を乗り切り、ジリ貧だった自民党の息を吹き返させました。そしてその後の「構造改革」大合唱によるサプライサイド一辺倒の政策は、長く我々労働側を痛めつけることになりました。

 

 そこで、笹森連合は年が明けた2002年4月10日~11日の二日間に渡り、連合結成以来最大の13,000人を結集しての「もうがまんできない だまされない 国民総行動」いわゆる『ゼネラルアクション』を断行しました。日比谷野音での集会、銀座までのパレード、国会デモ、座り込み…。NPO、NGOの皆さんも参加しての大抗議行動は、私にとっても連合の存在意義を再確認した日になりました。というのも実はこの頃、我が連合愛媛は「会長、事務局長が空席」で事務局には二人の副事務局長しかいないという異常な実態にありました。「そんな中ではあるけど、他の組織に迷惑は掛けられない」ということで、構成組織の協力の下109人の団を結成し全国の仲間と行動を共にしました。

 

 後日、笹森さん本人から「実はあの時期の連合愛媛はとても心配していたんだよ。本部として口は出せないしなあ~。」って気を使っておられたことを聞きました。で、よせばいいのに「いや~でも、あの時の演説、あのクマのお面は外されてた方が…。まあ、あれはあれでインパクトありましたけど…」って突っ込んだら「しゃあねぇーんだよ。俺は言われるままよ!」って茶目っ気たっぷりに笑っておられました。 

 

 その後、全国行脚の「アクションルート47」で2002年7月に来県され、行政、経営者団体、連合未加盟組織やNPOを訪問し交流されました。前回の「連合はre-ngoなんだよ…」って話は、この時のNPOの皆さんとの会話の中で出てきたものでした。

 

 まさにその名のとおり、47地方連合会をめぐる全国行脚を敢行されたそのバイタリティには敬服しますし、それだけではなく次年度には全産別との懇談会も実施されました。本当にすごい人です。今だから言いますが実は愛媛に来られた時、体調は芳しくなかったのです。昼食の時「実は東京に帰ったら頭の血を抜かないといかんみたいで…、即入院よ!」お付きの秘書室長はかなり慌ててましたが、当の本人は「ダイジョウブ。だいじょうぶ」って笑っておられました。

 

 

 

 一方で、外部有識者からなる「連合評価委員会」(通称中坊委員会)を作り、2年間かけて全国各地で聞いた組織内外、特に未組織労働者の声を裏打ちさせるような厳しい評価を2009年9月に報告してもらい、連合全体として真摯に受け止めることで「組合が変わる、社会を変える!」というスローガンを打ち立て、現在の連合運動の方向性を示してくれました。

 

 

 

 2005年10月に連合会長を退任されてから中央労福協の会長に就任され、その活躍の幅も更に拡がったご様子でした。愛媛も県労福協の学習会の講師として2008年、2010年とご講演いただきました。(個人的にはあと3~4回は他県で拝聴していると思いますが)

 

 何処の会場だったか忘れましたが、私の隣で聞いていた初老の経営者が、「労組(ろうぐみ)にしちゃあ、マトモなこと言いよるわ」って必死にメモを取っている姿を見て、周りには気付かれないように少しだけ胸を張ったことを思い出します。 

 

連合愛媛20周年記念講演

 

 連合愛媛としては、昨年の8月の結成20周年記念講演会にご講演いただいたのが最期になりました。体調が思わしくないのは分かっていましたが、ダメ元でお願いしたところ「愛媛なら行くよ」って快諾していただきました。実は当日はゆっくり道後温泉にでも泊まっていただく予定でしたが、前日に急遽入院され、お医者さんから「今晩帰るなら目をつぶる」と言われたようで、「外泊許可が出なかったわ。残念だけどまた今度な!」ってとんぼ返りされました。その後、先述したように二か月後の10月に労福協の関係で『協働労働』のご講演をいただいたのが本当の最後になりました。実はこの時も2時間ビッチリ熱演され、とんぼ返りでした。(結局この10年で6~7回は愛媛に来てもらったと思いますが、一度も道後温泉を味わっていただくことはなかったかも知れません) 

 

 その後のご活躍はご案内の通り、内閣特別顧問ということで、震災後は特に菅首相の相談役として適切なアドバイスをされていたことでしょう。何時だったか関係者からの情報として「東日本がつぶれる」って首相発言が取りざたされましたが、こんなこと言ったら怒られるかもしれませんが、これも笹森さん(関係者)らしいなって、その健在ぶりを妙に納得していました。

 

 余談になりますが、先ほどのやり取りは、笹森さんが1996年旧民主党結党、1998年新民主党結党、2003民主・自由党合併そのどのタイミングにおいても連合の副会長、事務局長、会長という立場を超え、当時の菅代表を支え続けてきたという事実が背景にあることを忘れてはなりません。

 

 

 

 私に限らず、労働運動に関わった人間で笹森さんのまさに『琴線に触れる』演説を体感した者は、必ずやその虜となり、自らの活動・職務に自信を取り戻し、その感動を誰かに伝えたくなり、そして暫くするともう一度聞きたくなったことでしょう。

 

 願わくば、も一度なまの「笹森節」を聞きたいものです 

 

 笹森さんのご冥福を改めてお祈りするとともに、その高い志を継いで、私たち連合・連合愛媛は今後とも連合運動発展に邁進することを誓います。

 

 どうぞ安らかにお眠りください。

 

 

 

2011年6月9日 

 

事務局長 杉本宗之 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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連合は全国約800万人、その地方組織47の1つ連合愛媛は、約5万人の仲間の組織です。加盟産業別労働組合は34組織です。

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